吹奏楽からの音楽生活史 閑話2 小学生時代
私は小学校5年生で、関西の明石市から横浜市内に転校してきた。
これが初めての転校ではなかったのでとくに緊張感もワクワク感もなくフラットな気持ちで学校に行ったが、その小学校は高学年の2年間クラス替えがないので、
初日に会ったこのメンバーと卒業まで共にすることになるらしかった。
いつ誰がどのように声をかけてくれたのか覚えていなくて、登校初日の思い出がだんだん薄れていくのが今ではとてももったいないと思う。
(こうして色々と大切なことを忘れてしまうので、人生中間報告としてこのシリーズを書いている)
いつか、暗い雨の日に、元担任の先生やクラスメイトへ手紙を書いたのを覚えている。
こちらは転校生が多く、クラスの半分は生まれてから今までにどこかに引っ越しています。5年生の体験学習では、横浜は何処何処に泊まりに行きます。…等々。
クラスは仲が良く、ほとんどの子と話したし楽しかった。
まえちゃんとはとくに、お互いの家に行き来して遊ぶことも多く、夏休みの宿題なんかも一緒に取り組んだ。
まえちゃんには、当時すでに大学生のお兄さんや高校生のお姉さんがいたので、うちのように年の近い兄弟の話とはまた違ったテイストの話が面白かった。
かわいい白文鳥と遊べたし、まえちゃんのお父さんも独特のエピソード持ちだし、お母さんはいつも優しくって大好きだった。
そのお父さんかお兄さんかお姉さんの趣味なのかわからないが、
まえちゃんの家族のだれかが作ったカセットテープがあり(私が小学生の頃は、カセットテープがまだ使えて、他に小学生が手を出せる範囲だとMD,CDが主流だったと思う)
「勉強のBGMにかけてみよう」
となった。
入っていたのは 小沢健二『痛快ウキウキ通り』
…だったのだが、A面の時間分びっちり入っていたのだった!!
無限ループウキウキ!!
一瞬、え、機械バグった…?!と疑うほどに狂気の繰り返し!!!
「ヤバいwwww」「終わらないwwww」
もう二人とも勉強どころでなく無限オザケンに笑い転げる!
「(笑いすぎてお腹が痛い)じゃあさ、B面聴いてみようよ!」
裏面にセットしなおし、かけてみると…
小沢健二 痛快ウキウキ通りのカップリング『流れ星ビバップ』
が…
B面の時間分びっちり入っていた!!!!!
またかーーー!!!!!
笑い転げる私たち!!
その日から二人で遊ぶときは毎回無限オザケンテープをかけ、でもすぐに慣れてしまって
(なんせ8回くらい連続で聴きますからね)
もう笑うこともなく、日常のルーティンBGMとして長い間お世話になるのだった。
音楽生活史と何が関係あるのかって感じであるが、
ワインに音楽を聞かせ豊かな熟成を促進するように、中学で吹奏楽部に入った私とまえちゃんはオザケンの音楽によって熟成したのである…と思う(笑)
しかし今聞いてみると音楽のポップなサウンドも良い感じだし、歌詞はなかなか文学的なところがあったりして、思春期の私たちには本当に良い影響を及ぼしたのかもしれない。
もっとも、オザケンの、しかも限られた2曲を浴びるように聴いた小学生なんて私たちくらいだろうから確かめる術がないのであるが…。
(吹奏楽からの音楽生活史 閑話2 完)
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